| 「著者からのメッセージ」 |
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いよいよ21世紀が始まる。しかし、自殺者や失業者、そしてホームレスがあふれる日本社会は、今や経済ばかりではなく精神的荒廃をきたしていると国際社会から指摘される始末である。 これまで日本人が高度成長を遂げた理由の一つは「経済的にいいものは吸収する」というしなやかな発想を有していたからだが、こういう危機的状況だからこそ、今度は「精神的にいいものは吸収する」という発想をもってもいいのではないだろうか。 そういう意味で西洋の精神的支柱である聖書から何かを学ぶという姿勢もまた評価されよう。だが、聖書の全篇を通読するのは並大抵のことではない。そこで多忙を極める皆様のために、少しでもわかりやすく解き明かすことができないかと書き下ろさせていただいたのが本書である。 意外なことに、聖書には完璧な人間などほとんど登場しない。むしろ、あらゆる煩悩を抱えた人々が、神を裏切ったり、救われたりという行為を繰り返す物語なのである。 さらに、「旧約・新約」を通読してみると、たとえばヨハネの黙示録が、単にこの世の滅びを説いたものではないことに気がつく。じつは世の終わりとは「悪の世の終わり」であり、そこから「善の世が始まる」ということが説かれていたのである。それはイエス自身の語った言葉でも明白であろう。 「この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。」 ここで言う支配者とは、民衆を抑圧する暴政者のことを指しているのは言うまでもない。 ただし、善のエネルギーが悪に対して勝利を収めることができたならば、熱情の神は愛情の神となり、最後の審判という名の人類への鉄槌は先送りされる。 さらに言えば、アダムやイブが当初は善のかたまりであったように、我々人類の一人ひとりが愛のかたまりになるとき、やがて破局は回避され、同時に弱者に優しい理想的な社会が訪れる。じつは「聖書」とは、その日を信じた古代の人々が、自分たちの成功や失敗を後世の人々に伝えることで、いつかこうした世の中を実現させてほしいという願いを託した書物だったといえるのではないだろうか。 したがって我々現代人が国境を越えて聖書を理解するという行為の本質を一言でいうなら、それは、およそ三千年前に生きた人々の夢や希望を叶えるという、まさに時空を超えた壮大な試みに参加することにほかならないのである。 著者 |