『極真会館・松井章圭館長 独占インタビュー』
私が松井館長と初めて出会ったのは遡ること15年程前、まだ館長が中央大学の学生でいらっしゃった頃である。当時、館長は内弟子を離れ、社会人として一度、外の世界を体験するべきかどうかで迷っておられる頃であったかと記憶している。私自身もそのときTVマンから作家に転進しようかどうか漠然と考えあぐねていたときであった。
たしか私は社会人の先輩として次のようにアドバイスさせていただいたと思う。
「社会人を体験されることは良いと思いますが、しかし社会には大山倍達総裁のような大人物はいませんよ」
なぜ、このようなセリフが口をついて出たかというと、そのわずか30分ほど前に、私は当の大山総裁と握手をして総裁室を出てきたばかりであったからだ。そのとき総裁は極真も女子空手を世界に普及させるという新しい目標を語られた後、私にこのように言われた。
「極真には猛者は多い。だが後継となると力業ばかりでは駄目なんだ。スマートでなければね。そういう意味じゃ、松井に私は期待しているんですよ」
そのような話の後だっただけに私は僭越な言葉を松井館長に投げかけたのである。
人の縁というものは陰と陽が織り成す、らせん階段のようなものではないだろうかと私は考えている。今、松井館長は一度社会人を体験された後、大山総裁の後継者の立場に立っている。そして私はといえば、TVの世界を離れ、作家の末席に名を連ねている。
大げさな表現をするならば、すべてはあの日に決まっていたのだ。
ただ二人とも決定している未来に向かって何かを模索していたのである。
人間には迷う力も備わっている。そしてそれを乗り越えていく力もまた与えられているのである。迷ってこその人間ではないか。
そういう意味で「人間・松井章圭」の本音に触れてみたい。なぜなら、かつて大山総裁が言われたように力業ばかりでは人間ダメなのだということが、松井館長を通じてあらためて見えてくるからである。
そしてそれは私ばかりではなく読者の皆さんにとっても何がしかのヒントになるであろう。
では、インタビューをご覧下さい。
聞き手:中見利男
カラテを始めたきっかけは?
マンガですね。劇画を読んで。小学校4年生か、5年生ぐらいのときに『空手バカ一代』というマンガを読んで、それに感化されたわけです。その当時は、本部道場に距離的に通えなかったんで、近くに道場ができてから入門しました。それが13歳のときですね。
最初に大山総裁にお会いされたのは?
13歳のときです。自分は1976年6月12日に千葉の道場に入門したんですよ。そして7月に本部の76年度・夏期合宿があったんです。その当時は全国の支部道場から、また通信教育制度というのもあり、合宿も前期・後期に分かれてました。総勢5、600名参加したんじゃないでしょうかね。そのうちの一人として白帯で参加したんです。。
そのとき直接、大山総裁の姿を拝見したんですけれども、ただ言葉を交わしたとかいうんじゃなくて遠くから実物を見たということでした。
印象はどうでしたか?
自分はその当時、体が160p位しかなかった。60kgかける位で小さかったです。写真では拝見していましたが、ずいぶん大きな山みたいに見えましたよ。
一番最初に声をかけられたのは?
それも13歳のときなんですが、9月に審査会があったんです。初めて白帯から6級の黄帯に上がったんですよ。このときの審査会に大山館長(その当時、呼称は総裁ではなく大山館長と呼ばれていた)が、最高審査員という形でゲストで招かれて道場に来られたんです。そのときに白帯の審査の一番先頭最前列のはしっこで実技しました。そのときに、ほめられたり、怒られたり、と。
というのは、腕立て伏せをやったときに50回が一つの規定なんですけど、50回できないで40回くらいしかできませんでした。それもまともに40回やるんじゃなくて、ごまかしながらですけど(笑)、40数回でダウンしてしまったんです。
そこで(大山総裁が)、
「50回できなかったものは誰だ?」
と。何人か手をあげたんですが、自分に、
「なぜ、君、腕立て伏せ50回できないんだ」と。
「腕立て伏せ40数回できて、なぜ50回できないんだ。人間は死ぬ気になったらね、なんでもできるんだ。あとの何回かはね、死ぬ気になったらできるんだよ」
と、怒られましたよ。
そのとき手をあげた人が何人かいて、なぜ松井館長に言われたんでしょう?
最前列にいたからでしょうね。それが最初の会話ですけれど・・・・・・。
でも会話になりませんよね、それは注意ですよね?
まー、何回ですという言葉は発しますけれどもね。(笑)
あとは「オッス、オッス」と、返事はしてますよね。「オッス失礼しました」「オッス」と。
なるほど。その後、大山総裁と色々お話しされるようになったのは?
16歳で総本部の黒帯研究会に出席するようになってからです。週2回、黒帯研究会があって、そこに通っていたんですね。そのときからはいろいろ声もかけられるし、自分の存在も覚えて下さったようです。
総裁は自分が白帯の頃のことは覚えておられなかったんですけれども、14歳で緑帯を受けた審査のときのことを覚えておられました。
そのとき自分の実技を見たあと、リストを見て、
「君、14歳か? 君、本当に14歳?」って言われるので「オス、そうです」と答えたんです。
そうしたら「ハー、頑張りなさい。強くなるよ」と言われ、「ありがとうございます」と答えました。
のちに総裁は自分のことをこう言っておられました。
総裁の言葉を借りれば、
「彼を最初、私が見たのはね、千葉の道場で、彼が14歳のときにね。足がパーッと上がってうまい子がいるなと思ったら、それが後の松井ですよ」と。
このときの印象が総裁にはおありだったようです。
このときも会話になりません。総裁が一方的に話をされますから、こちらは「オッス」と返答しかしないわけですからね。(笑)
実際には、18歳のときに総本部に移籍をして、週のうち半分千葉、半分本部という状況ではなく、朝から晩まで本部につめるような生活を大学に入ると同時に始めたわけですけれども、徐々にいろんな意味で会話が増えていったのは、こういう生活になってからです。
大山総裁の魅力を一言で語るなら?
喜怒哀楽のそれなりに激しいという面もありましたね。情熱的だし。だから、いろんな場面に接してますよね。その中でも怒られることが一番多かったですが、総裁が冗談を言われて笑うこともありました。
怒られるというのは、どういうときですか?
それこそご飯のよそい方から怒られましたよ。総裁のお茶碗、おかわり、と言って出されたことがありまして、ご飯をパッとよそって、しゃもじをパッとお茶碗に引っかけたんですよ。そしてそれをそのまま出したら、
「君はしょうがないねぇー。ご飯もよそったことがないのかねぇ。まぁ、坊ちゃんだからなぁ」と言われたわけですよ。うちは別に裕福でも坊ちゃんでもないんだけど・・・・・・。
実は、それはふわっとご飯をよそうという心遣いのことを言われてるんですね。
また20年前、当時の焼肉屋は大衆食堂でそれもざっくばらんに同じ皿をつついて食べる料理でしたが、それでも当時から総裁は一つ一つのおかずに取り箸をつけるんです。直箸でやることを極端に嫌われるんです。
自分たちも肉をいつも習慣的に直箸で焼いてたんで、直箸で焼いていたら、
「君らダメだよ。そんなことやっちゃダメだよ。君たち自分の箸を置いて、そこの取り箸でやりなさい」と言われ、「失礼しました」と。
そういう細かい、本当に繊細な部分がありましたよ。
大山総裁の印象に残る言葉は?
その時々で、そういえばこんなことがあったなぁと思い出しますけれど、やっぱり代表的なものは、喉の渇いた牛の話ですね。
「喉の渇いた牛がいて、その牛を連れていくのは人間の役目。その牛が水を飲むか飲まないかは牛自身の問題。極意というのは、君たち自身がつかむものなんだ」
また、
「自分の親を自分が愛さないで誰が愛してくれるんだ。自分の国を自分が愛さずに誰が愛してくれるんだ。そういう気持ちをもって親孝行しなさい」
今一般的に我々に受け継がれている大山語録は、そういったことが中心ですよね。
つねに総裁は話をされていましたから、いろいろありますよ。たとえば、
「君たち、いいものを身につけなくていいからね、きれいなもの、清潔なものを身に着けなさい」とかね。
「男は常に体の9つの穴をきれいにしときなさい」とか、いろんなことを言われましたね。
館長になってからはいかがです? 大山総裁の教えは生きていますか?
自分が組織を受け継いだ以降に思い出すことというのは、一つ一つの断片で思い出すんですけれども、それを役割上いかに人に伝えようかというとき、自分の中で一つ一つの言葉を咀嚼してから伝える形になっていくんですよ。
門前の小僧習わぬ経を読むで、総裁が言われていたことはほとんど耳に残っているんですよ。それだけ自分たちにくり返し、くり返し話をしたということなんですね。それだけ頭に入ってるから今でもぽっと言葉やセンテンスを一言一句思い出すわけですよ。これを総裁はどんな意図をもって、どんな気持ちで、意識で我々に伝えようとされたのか。この場面とこの場面の二つの言葉というのはどんな所でつながっているのかという風に考えると、一つ一つの言葉がすべて一直線上に並びますよね。今、自分の解釈によると、なるほど総裁はこれをこういう風に言われようとされたんだなという風に。
つながるというのは具体的にはどうですか?
連結点というのは、まっ、一つ一つの連結箇所によって違うんですけどね。
要するに総裁がよく言われたように、
「親に孝行する人間が社会に奉仕して、社会に奉仕する人間が国家に忠誠を尽くす」
親孝行ということを原点にしているんです。すべて親孝行が原点ですね。たとえば、
「君たちが私に孝行したいと思うなら、師に孝行するということは、その記録を乗り越えていくことである」
ということにしても、自分の親を大事にするということにしても、すべていろんな意味で孝の意識が原点ですね。たとえば、
「親に孝行する人間が社会に奉仕して、社会に奉仕する人間が国家に忠誠を尽くす」
この言葉と違う場面で総裁は、
「空手道を志す人間は国家や民族や人種や宗教、思想、こういった垣根を越えていかなければいけない」
こういうものは超越していかなければいけないということを言われているわけです。一方では、
「自分の住む地域社会、自分の所属する国家、こういう所にいながら、さらにそれを超えていく」
という風に、これはどこでつながるかと言ったら自分の親を自分が愛する人こそ、自分の国を、また自分が住む地域社会を自分がいとおしむというか、慈しむというか、そういう人こそ、他者を認めることができる。そこで理解ができるからこそ人種が違っても、お互いの人種をお互いが大切に思うことができる。お互いの歴史をお互いが大切に思う。お互いが住む地域社会がお互いにとって大切になる。お互いの国家を尊重することを、そこでその原点で結びつけあう。
あるいは、
「実践なくんば証明されず、証明なくんば信用されず、信用なくんば尊敬されない。男というのは尊敬される存在にならなければいけないよ」というように言われたことと、
「力なき正義は無能だ。また正義なき力も無能なんだ」
これは実践を通して、それを証明して、証明を通して信用してもらうという。その先に、延長線上に尊敬というものを勝ち得る。これこそが社会的な力なんだということですよね。この社会的な力を持たなければ、自分はいくら正論を吐いていても影響力をもたない、つまり社会的影響力を持たない、ということを総裁は言われてるんですよ。
ま、そういう風に、いろんなところで一直線上に並んであてはまってくるんです。
こうした一方で、たとえば、こんなこともありました。
総裁と二人っきりでね。総裁の自宅に呼ばれてプライベートな話をしました。そのとき自分がお茶をいれなければいけないところ総裁が台所に入って、
「君はそこに座ってろ」
と、ソファーに自分を座らせて、総裁がお茶をいれて茶碗を持って来られ、「さあ飲みなさい」とすすめて下さったりね。
「近くにいたら親も使えというんだよ」とね。
総裁の書斎も総裁室も、あらゆるものが色々きれいに整理整頓されてましたよ。質素ではありましたけどね。派手なものはほとんどなく、きれいに整理されて、清潔でした。
一つ一ついろんな意味で何を言わんとしたのかというのが、今、場面場面で掘り下げていくとつながっていくわけです。
様々なところに連れて歩いていただきましたけど。自分はホテルの部屋まで入れていただいて身の回りの世話からマッサージからさせていただきました。また総裁は、
「下着や道衣や私は人に洗わせたことはないよ」と言われていたんですけど、自分は総裁の下着も洗いました。
でも10代の頃、いろんなところに連れて行かれたときは、荷物の整理の仕方を怒られて、脱いだ靴の置き方を怒られ、また背広の掛け方から、なにからね。
そういうこと一つ一つ注意されたら、次そうしまいと心がけました。
たとえば、ホテルのクリーニングが来る前に起きたら片付けるとか。そういうことをしていたら、だんだん総裁が感心をされてね。ちゃんとしているねという風に。
食事の仕方、挨拶の仕方、これは総裁流というか、極真流みたいなものですけれど、のちに会社組織の中に入ったときに同じように総裁流でやると、これは怒られた(笑)。飯の食べ方を怒られ、挨拶の仕方を怒られたり。また別の世界ですから。(笑)
社長室で仕事をしていれば頭は深々と下げるし、食事会などは遠慮して人よりも少なめに頼んだり、同じものを頼んだり、ということをしていくわけです。
でも総裁は、とにかく食事をするときは目いっぱい食べろ、お腹いっぱい食べろ、と。とにかく食べなさい、食べなさい、と。総裁はお腹いっぱい豪快に食べる人間が好きでしたしね。
また挨拶は「商人と違うから君たち頭を深々と下げるな。頭を深々下げたとき、上から叩かれたらどうするんだ」と。
「深々下げると周りの状況がわからなくなるから、頭を下げなくていい」と言われたりね。こういうことは、ビジネス社会では考えられませんよね(笑)。
まあ、つまりは場面による使い分け、臨機応変な対応というのが必要なんですね。空手の世界に限らず一般社会の中にあってもそうじゃないですか。
たとえば、食事の席でも、ざっくばらんに食べていい席、そうじゃない席、上と下がある席、いろいろありますから。そういった点で瞬時に判断ができる。いずれにせよそういうものは心がけなければいけないという意識は総裁からもそうですし、社会人として社会生活の中でも学びました。
昨今の少年犯罪については、どう思われますか?
少年犯罪はどこかに起因する原因があると思うんですよ。それはやっぱり一般社会のひづみといえば、ひづみだし、かといってそれを社会が悪いと言って犯罪を犯した少年が肯定できるかといったら、それはそうじゃないと思います。難しい部分はあるとは思いますけどね。
基本的には格闘技というのは動物的で原始的ですよね。スポーツと違ってゲーム性があるところから始まっているわけじゃないですから。今は競技化してますけど、原点は闘争ですからね。生きるための闘争。他には思想も何もないわけです、本当は。あとづけのものでね、それに道義づけ、人間には英知があるから、闘争に道義づけをして、それに精神性をもたせて、いろんな意味で心技体というけれど、技術的には技術化していく。戦略化していったり、武器化していったり、それと同時に、そこには倫理観とか精神性とか理念とかいうものが整えられ、形づいている。
もともと空手は生きるための闘争から始まってますからね。そこまで掘り下げたときに感じるのは、今、地球上に60〜70億人いるとして、そのうちの人間らしい、いわゆるまともに生活しているのは1割に満たないといわれています。日本というのは、その1割の中にすっぽり入る。
アメリカにしても少年犯罪が多発しているところというのは、きっと裕福なところだと思うんですよ。もちろん食うための犯罪というのは、他の地域にもあるとして、だけど本当に目を覆いたくなる、耳をふさぎたくなるような残忍な猟奇的な犯罪というのは一般的な犯罪とはちょっと違うんじゃないかなと思いますけどね。
飽食以外の景気が悪いとか、政治的に、社会的に原因があると言ったって、我々はまともに生活しているわけですよ。
そんな中で、昔の大家族が核家族化していき、長屋の近所みたいなね、町内みたいな、そういう社会性が損なわれて、お互いに隣りに住む人間と口をきかないような生活。また家族構成の兄弟が少なくなっている。表で遊んでたものがだんだんTVゲームみたいな内向していく遊びになっていく。
それに伴って情報の氾濫というか、同時に焦点を定めるのに困るような言葉。おそらく今の子供たちも昔の子供たちもエネルギーというのはたくさん持っているわけですよね。昔の人に比べてエネルギーがない、根性がないとか、そんなことはないと自分は思います。ただ焦点が定まらないんですよ、きっと。
そういう中で動物的な痛みを知らない、動物的な愛を知らない、とか。そういう自分の存在自体をどう捉えているのか。また自分自身で、自分が生きているという、たとえば動物もじゃれあって愛情や痛みを知るようにね。TVゲームとは、じゃれあえないですから、お互いに。
要はデジタル時代だ、ITの時代だというけれども、これは人間が豊かに生活するための道具でしかないわけです。もし仮に、東京・成田−N.Y.間を3時間で飛べるようになったって、人間の寿命60年が3日に収まるわけではないですからね。
ということは、デジタル化していく中でITを扱う人間はアナログ的存在であるわけですよ。そういうものは、どっかでひづみを生んでいるんだな、という風に感じますよね。そのひづみの中で、ひづみがあれば軋轢というか、そこになんらかの負担がかかると弾ける部分がでてきたり、また埋没する部分がでてきたりするわけですから。
そんな中で一つ一つの物事というのは一人一人の、たとえば少年犯罪を起こした一人一人の家庭や自分自身の環境とか、そういうものに掘り下げてみないと一人一人の原因は明らかにならない。なにかそんな部分があるような気がしますよね。
やっぱり原点に戻るというか、動物的な原始的な作業の中に生きるという本質がある。
では空手ではどうか。我々がしているのもしょせんは疑似体験です。生死の世界じゃない、勝敗の世界、勝負の世界。それも試合に出る人間だけ、そういう勝負の世界で物事をするんですけども、それもどこまでいったって日本一強い世界一強いといわれる優秀な選手だって生死のはざまをいくような体験をしているわけではない。
どこまでも疑似体験だけれども、武道性というのはどこに原点があるかといえば、生きるために苦しくて、辛くて、痛くて、やりたくないけどやらざるをえないという闘争に原点があるんですよ。
心の底から今の状況に取り組めば全日本だったり世界大会だったり、そういう状況の中から掘り下げていけば、原点はここにあるのかなとか想像していくことが可能だと思うんですよね。そういう気持ちというか発想というか、そういう考え方をさせるように指導者たちは導かないといけない。
要は自分を大切にする人間は人も大切にできますよ。自分が大切な人間は自分を通して親を見たり、また親を通して自分を見たり、子を通して自分を見たり。それと同じ状況にある他者も見ることができたり。
(((どんな世界的な赤ちゃんコンクールで優勝した赤ちゃんよりも自分の子が世界一だと思うんですからね。お互いにそう思っていればね。お互いみたら、うちの子の方が絶対かわいいなと思いながら、そっちもそう思ってるんだろうなという、そういう理解はお互いできるわけじゃないですか。ミスユニバースより自分の嫁さんの方がいいんだから。そういう意識を原点として持つことですよ。)))
極真空手の総帥として21世紀どういう風に舵取りを?
我々が受け継いだのは大山倍達という人が創始し、始めた極真空手というものを受け継ぐ組織を残そうということですけれども、総裁が遺されたものは技術であり、理念である。
「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」
「極真会館とは、常に真を極めんという志を持った集団であれ」
と、つねづね言われたんですけれど、極真空手に難しい技術はない。極真空手に関わる人たちの空手技術というのは、みんなそれぞれがオリジナル。それを掘り下げる、またはそれを切磋琢磨する集団が極真空手、極真会館だ。
極真空手、極真空手というけれども原点は、空手道の真を極めんということで、武道の真を極める、自分自身の生き方の真を極めるというのが極真という精神です。もちろん基本という部分は技術的にもありますけれども、そこから掘り下げて自分自身何かを創り上げる、自分自身を探求するというものが極真空手であると。
であるならば、その精神性とか流通性とか、ある意味では空手の技術に携わらなくても我々の活動に賛同して応援してもらっている人たち、それも極真支持者の一員であると考えて、関わってもらえる人たちをできるだけ多く広範に持てるようにならないといけないんじゃないかなと思います。
大山倍達という大人物がいたときは、強烈なカリスマ性のなかでね、大山倍達の真空パックに小さな穴をあけたら、そこから外の空気が吸い寄せられるように中に入るようにして、我々はそこに入っていったわけです。今は状況や環境が変わってきていますから、我々は間口を広げて、垣根を落してみることも必要かなと思います。時代に迎合するわけじゃなくて、適合できるそういうものを目指していかなければいけない。
精神性や団体自体を残すために我々は責務を負っているわけですから。そして社会的有用性のある団体になっていくのであるならば、その団体は生き残らないといけない。生き残るとは、どういうことかというと強いだけでも、賢いだけでもダメ。
生き残るとはどういうことかというと、昔、進化論のダーウィンが、
「変化に適応できるものだけが進化する」というようなことを語っています。
「変化するということだけが変化しない」と言った外国人ジャーナリストもいます。
ですから、自分の代になって、大山倍達、大山総裁がやらなかったことを、なぜお前がやるんだといろんなことを言われますが、組織運営上もそう、K−1への参戦もそう、いろんなことで反対意見が内部も外部もありますが・・・・・・。でも自分は大山倍達に反抗して物事をしてるわけじゃないんです。大山倍達という人物を後世に遺すために自分は変えていかなければならないもの、変えてはならないものももちろんあります。変わらないものもあります。でも変えなければならないものもあるんです。その変えなければならないものっていうのをきちっと判断して、そこはいろんな意味で愛着はあるかもしれないけれど、執着心を持たず、固執せずにさっぱりと変える。
そういう風に組織的に断行するという勢いで物事をやらないといけないと思いますよ。変化に適応して生き残らなければいけないですからね。
極真を広く伝えるための何か戦術はありますか?
素晴らしい活動も人物も、たとえばよく我々が山ごもりなんて言いますけれど、山ごもりの修業して、山の中で世界一強くなって、それが真実であろうがなかろうが、山のてっぺんで自分が世界一強いんだーと言っても社会に影響は与えない。それは何の価値もない世界一です。
やっぱり人は人に影響を与えてその人の存在の価値がでるし、本当はそういうことによって自分自身の自己肯定がなされるんだと思います。
そういうことを考えると極真会館、極真空手というものが周知のものになっていかないとならないんですよね。売り込む、売り込むとそういうことじゃなくて、やっぱり世に問わないといけない。我々の活動自体を微調整しながら世の中にあう形にしながら生き残らないといけない。
だからフィリオがK−1に参戦していくということも、K−1という舞台がどういう趣旨を持って運営されているかというのはK−1を作り上げる人たちの意志ですよね。それは大きく離れれば我々も参加できないことになるわけですけども、今の所はその中でうちの選手たちが持っている武道性なり、精神性というものが活かすことができるという判断を自分はしているんで。それによって、たとえばですよ、同じ音楽というジャンルの中で仮に我々はバイオリン、彼らがチェロを弾く。同じ弦楽器というジャンルで、音楽を探求するということだったり、人に伝えるという意識は全く変わらない。ただそれをジャズとして奏でるのか、楽器を違うものとして奏でるのか、クラシックとして奏でるのか、それほどの違いがあるだけだと思うんですよね。
K−1とうちは技術的には負けたり勝ったりしてます。しかし、なにも勝ち負けというのは、そんなに大きな問題じゃない。そこでやっぱり見る人たちは、きっとそういう志をくみ取ってくれると思うんです。その中で我々はより崇高なより高い志を持っていれば、それを彼らを通じてそこに訴えられるだろうと。そしてそこを切り口というか窓口にして極真てなんだろうという風に興味を持ってもらえる。
だからK−1というのは同じ格闘技の中で注目されているイベントですが、そこに限らず、たとえば地域社会で演武会をやったとか、我々に所属している人が昨年、南極探検隊の一人になって「極真の精神で頑張ります」といって踏破した人もいます。そういう一人一人の活動が空手。何も格闘技を通さなくても空手というものを通さなくてもそこに関わる我々がなんらかのこと、たとえば自分がどっかに呼ばれて講演をするとか、なにも空手に興味がない格闘技に興味がない人の中で話をして、それが何らかの形で役に立てば、それも我々の活動の一環ですよ。
なるほど。では大山総裁後の現状については、どうお考えですか?
大山倍達という強烈なカリスマの中でのいわゆる格闘技という部分と強烈な光を放った部分があると思うんですよ。それがまた格闘技の業界の中でも非常に存在感がある極真だった。その当時、一枚の極真看板でやっていたわけですが、今やっぱり総裁が亡くなられて、それこそ宗教上の教祖が亡くなったみたいにね、弟子たちが離散して、分派、分派となってますけどね。そういう中で極真という看板に、たしかに泥を塗ってしまった。我々も彼らも。そういう中にあっても極真会館から派生した団体がそれなりに活動に邁進してね、それなりに世界の中でも活躍している。K−1もその一つですしね。
そういうことを考えたときに極真というのをどういう形で、簡単に言えばプロモーションしていくのかというのは、いろんな活動のステージをもって周囲を見渡したときにいろんなジャンルの中から極真が見え隠れする。サブリミナル的にというかね、極真会館というのが目につく。そういう風に持っていかないといけないんじゃないかなと思ってるんです。格闘技の業界だけでなく、青少年育成。福祉。国際交流。突いたり蹴ったりするだけじゃなく、そこで鍛えた精神育成をどうするのか。今後はそういうことにも重点を置きたいと考えています。
HPの読者へメッセージを。
先日ある番組で川畠成道(かわばたなりみち)さんという29歳のバイオリニストが取り上げられていました。お父さんがバイオリニストで、5歳のとき、ロスに行って風邪薬を飲んでその風邪薬があたってほとんど盲目に近いんですよ。楽譜をよむことができない。10歳のとき遅出のデビューでバイオリンをはじめたが、外国の音楽大学を主席で卒業。いろんなコンクールがある中で「自分はベストになろうと思わない。ベストじゃなくてオンリーワンになりたい」と言っていました。それを聞いて、その通りだなと。
そのとき自分は思ったんですけど、自分も13、4年前85、86、87年、自分で本当に望んで物事やって、日本チャンピオンになって、全日本2連覇して、世界選手権に出て、そして引退していくわけですけれども。優勝して一番自分の中で思ったのは、そういう中で、正直言って85年のチャンピオンは86年の大会までずっとチャンピオンですよね、記録的には。でも本当は1日だけのチャンピオンなんですよ。87年のチャンピオンは91年のチャンピオンまで4年間現役の世界王者なんですよ。でも本当はその1日だけのチャンピオンなんですよ。それはチャンピオンになった人しかわからないと思います、そういう感覚は。ある意味でそういう充実感や達成感や喜びとともにある部分をなんか・・・あーこんなものかなと。そういう虚脱感というか。
でも10年たって同じ大会に出て自分が勝てるかというと、きっとそれはそうではない。強さが損なわれないにしても、たとえばずっと稽古をして強いといっても、もしかしたら次の日に試合をやったら違うかもしれないなという、その競技の中でたまたま運よく勝った。もちろん勝つことを求めたし、それに対する努力を怠らなかった結果、報われたという結論が出たのかもしれないけれども、218名いる選手の中で7回か8回しか戦わないんだから。その中で組み合わせが一つ違ったらどうなっていたか。人が優勝したのを見たときは、どんな組み合わせでも彼は勝ったと思えるけれども、自分自身が一番高い所に立って横を見たときに果たして自分は常に試合をして彼らに勝てるのだろうかと。実感として勝てるという自信を持てないんですよ。だから結局はその日だけ、あのときだけのチャンピオンだったなと思うわけですよ。
だからベストを求めたらベストなんてないんですよね、きっと。価値観、価値判断っていうのはその人その人で違うし、どんな素晴らしい何億もする絵画よりも自分の子供が自分にあてて描いてくれた絵の方が大事だという意識があったりするわけじゃないですか、時と場合によっては。そうするとベストというのは何がベストなのかなって、どこがベストなんだろうと。
取り替えのきかない存在になるということこそが尊いんだなと、そういう風に自分は思うんですよね。
それで先ほどの川畠さんの言葉で、あーなるほど、オンリーワンだなと。すべての人が皆オンリーワンなんですよ。だからこそ自分自身を大事にしてほしいと。メッセージをあえてするなら、そういうことだと思いますね。
最後に松井館長の座右の銘は?
座右の銘ってこれだというのは、その時々でありますよね。
ある勉強会に行ってですね、これは素晴らしいなと思って、一時期、色紙に印刷して皆さんに配っていたことがあるんですよ。それは経団連の会長をしていた土光敏夫さんの言葉。
*****土光さんの言葉*****
わかっていてもやらないのはわかっていないのと同じだ。
やっていても成果があがらないのはやらないのと同じだ。
いったん計画したものは万難を排して完成させよ。
その中で人間形成ができる。
やるべき事が決まったなら執念をもってとことんまで押し詰めよ。
問題は能力の限界ではなく執念の欠如である。
物事を成就させる力は何か その中にはむろん能力があろう
だが能力は必要な条件であっても十分な条件ではない
十分な条件とはその能力に起動力・粘着力・浸透力・持続力などを与える力である
そのような諸力を私は執念とよびたい
困難に敢然と挑戦し失敗に屈せず再起させるのが執念である
物事をとことんまで押しつめた経験のない者には
成功による自信が生まれない
能力とは“自信の高さと幅”だといえる
自信を一つ一つ積み上げることが能力を獲得する過程である
執念の欠如する者には自信を得る機会が与えられない
土光敏夫
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空手をやってきて大会に挑戦する中で、たしかに失敗することもあるんですよ。失敗もここで肯定されているわけなんですよ。失敗に屈せず再起させるのが執念である。こういう文句はそのとおりだなと思いますね。屈せずに物事をしたら成就するし、そういう過程の中で一人一人が人間性というか目指すものが達成されていくということなんですね。
自分自身もこういう風に触発されるというのは、これに刺激を受ける部分を持ち合わせているから。要はね「わかっていてもやらないのはわかっていないのと同じだ」っていう風にね。ずーっんとくるからね、ああこうじゃないといけないと思うんですよ、きっとね。
こういうことを書けるのは、こういう体験をしてきていないと書けないですから。やっぱり「失敗に屈せず再起させるのが執念」だとはね、何回も失敗したんですよ、きっと。顕在的な失敗じゃなくても自分の中の挫折であったりね。そういうことを経験したからこそ自分で屈しちゃいけないと自分の中にいいきかせて物事をした人なんですよ。こういう経験もなくて想像の世界だけで、こんな言葉は残せないですよね。
了
松井館長のインタビューは、2時間にも及んだ。当初、スポーツライターの一人として、ノンフィクション風に館長の談話をまとめていく予定だったが収録したテープを起こしているうちに、それがあまりにも理論的であり、説得力があるため、かえって手を入れてしまうことがためらわれたのである。
したがって、今回は松井館長の肉声に近い形で、ここにインタビュー版として掲載させていただくことにした。
中見利男
取材協力:道上博幸氏、川村理嘉氏