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『中村和久
あるスカウトの夢』
(取材構成・ノンフィクション作家 中見利男)
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「この3連戦を2勝1敗のペースで乗り切ればジャイアンツは潰れますよ」
これはあるチームの監督がマスコミに向けて得意になってしゃべったコメントである。だが、2000年のシーズンはこの言葉とは逆にジャイアンツの独走で幕を閉じようとしている。ある評論家は江藤、工藤といった大物の補強がその理由だというが、ちょっと待ってほしい。はたしてそれだけでここまで勝てるのか。昨年、20勝をあげた上原が調子を崩しているではないか。そのかわりに岡島や高橋尚成といった若手が著しい成長を示している。彼らの働きによるところも大ではないか。
ところが二人ともアマチュア時代に長島監督から熱い視線を送られていたわけでは決してないのである。では彼らはどのようにしてジャイアンツのユニフォームを着るに到ったのか?
そのあたりの事情を巨人軍スカウトの中村氏に追ってみた。まず巨人軍の広報誌はスカウトの活動と中村さんについて次のように伝えている。
『プロ野球のスカウトを「仕入れ屋」と言った人がいる。チーム事情にそってプロで通用する素材を仕入れ、その素材がコーチなどの手で磨かれてグラウンドで花開く。スカウトがいかにいい素材を集めるかが、チームの生命線ともいえる。
中村和久さんはスカウトとしては“異色”の存在。ほとんどはプロ野球経験者だが、中村さんは社会人野球出身。名古屋商科大から1970年にリッカーに入部、82年から監督を務めたが、まもなく野球部は休部に。現在評論家の中西清起さんのようにドラフト1位で指名される選手はいいが、他の選手の再就職探しには一苦労。この残務整理を通じて経理や交渉術を学んだ。一息つけようとしたところ、巨人スカウトの声がかかり、85年からスカウト人生に入った。
スカウトの主な仕事は、野球場や学校のグラウンドに足を運び、試合や練習風景を観察、これはと思った選手のデータを調べ、選手・学校関係者などとの人間関係を作ること。3月の社会人スポニチ大会から、スピードガン、ビデオ、ストップウォッチ、双眼鏡、座布団、手帳、サングラスの“七つ道具”をバックにつめて、「能力鑑定人」中村さんの観察が始まる。
中村さんの「観察」は試合開始30分前から。練習を見ると肩の強さやスローイングの良し悪しがだいたいわかる。最重点は高校生投手の場合、速いボールを持っているかどうかで、コントロールより地肩の強さを重視する。大学、社会人になると即戦力であることが要求されるので、素材に打ち取る技術が加味される。野手の場合は一に足、二に肩、三に打撃と守りから入る。打撃はプロに入って、鍛えれば伸びるが足、肩は天性のものがあるからだ。』
さて、昭和62年3月から10年間、巨人軍の大阪事務所に近畿から中国を含めた関西地区担当のスカウトとして駐在していた中村さんは、京都東山高のある1年生投手に注目していた。それが現在、抑えの切り札に成長した岡島秀樹投手であった。
岡島投手は2年生の春に選抜に出場。144キロを出して各球団スカウトの度肝を抜いた。その翌年、2年連続で春の選抜に出場したが肩の違和感から突如として制球が乱れるようになっていた。そして5月、故障が発覚し、各球団は波が引くように岡島獲りから手を引いていったのである。その後、6月下旬にはなんとかピッチングが可能な状態にまで回復したが、7月に行なわれた夏の甲子園の京都予選ではわずか3イニング程度の登板しかできなかった。これによってほぼ岡島投手のプロ入りの可能性は消滅したといっていい。
ところが中村さんのその後の情報収集活動によってある事実が明らかになった。それは当時の野球部・長谷部監督が大事をとって、あえて岡島投手に3イニングしか投げさせていなかったという教育者としての配慮がなされていたという点である。さらに3年生がほとんど練習に顔を出さない9月にグラウンドをのぞくと、岡島が1日置きに来て、投球しているという。球威も回復、左腕からの直球、カーブはセンバツ当時を彷彿とさせるものがあった。
「自己管理できる選手は伸びる」と感じた中村さんは足しげく通い、とうとう岡島から「巨人ならお世話になる」という“確約”を得た。
なぜ岡島投手だったのか。これに対して中村さんはこう答える。
「たしかに当時から、俗に目線がキレるというのですが、頭がぶれるというフォームの欠点がありました。しかし大きなタテのカーブが良く、ストレートも140キロ強だったので、これは素材として通用するな。カーブで三振がとれる投手に成長するなと見たのです」
そしてこれも重要な要素なのだが、いい意味で彼はガンコであった。周囲が矯正を勧める中で彼はフォームではなくコントロールの矯正に挑んだのである。そして投げ込みの末に頭を振り抜きながらもボールを離すタイミングと位置、俗にリリースポイントと呼ばれる直感と指先だけの目に見えない第3の技術をつかみ取るのである。
一人のスター選手を生み出す影のプロデューサー、つまりスカウトの持つ力の大きさをうかがい知ることのできるエピソードである。
「私はどちらかというと個性を重視するタイプなのです」
と中村さんは自らを振り返る。
「すべての選手の長所しか見ないのです。ともかく欠点はみんな持ち合わせているのですから。それは置いといて長所の方を5倍、10倍に伸ばすことを考えるのです。そうすることで他者より抜きんでてくるんですよ」
その中村さんもテレビで終盤、マウンドの岡島投手を見ていると胸が苦しくなるという。ところが今年から、終盤だけではなくプレイボールの第一声からラジオ中継を聞かなくてはならなくなるのだ。
その理由は一人の新人投手が先発ローテーション入りを果たしたからであった。それが二ケタ勝利をものにした上、新人王の呼び声も高い高橋尚成投手である。
彼もまた中村さんがスカウトを担当した選手だ。驚くことに入団当時の高橋はストレートの最速が137キロ程度。つまりは高校生なみのスピードボールしか投げることのできない凡庸なピッチャーであった。現在は、142キロ程度にまでスピードが加速してきたが、それにしても岡島投手とはある意味、正反対の人材で、岡島獲りのときはライバル球団が10球団いたのに対し、高橋の場合はわずか6球団ほどであった。2月のキャンプでも当然ながら注目されなかった。中村さんは言う。
「練習を東芝のグラウンドに見に行きますとねフォームがきれいすぎるので目立たないんですよ。ところが打者を打ち取るときの投球術がいいことに気がついたのです。胸元をつく直球と外のシンカーは一級品でした。それ以上に、ストレート、カーブ、スライダー、シンカー、すべての変化球のバランスが良くて、たとえば7回まで投げたとしますね。そうすると最低7個は三振が獲れるんです。イニングスに応じて三振の計算ができる。これがプロ向きなんですね」
事実、高橋は紅白戦、オープン戦、公式戦とステージが上がるにつれ頭角を現わしてきたのである。通常、巨人戦には相手球団はエース級をぶつけてくる上にテレビ中継なども入り、打者も気合い十分でゲームに臨んでくる。したがって新人であれば昨年の上原や松坂といった人材は別としても7つから8つ勝てれば良い方だ。
こうしたプロ独特のプレッシャーからか6月にスランプに陥った高橋は、「このまま2軍に埋もれるのではないか」とその能力の限界をささやかれたものだが、その後、見事に復活するとチームリーダーさながらの活躍を見せはじめた。それは短所を矯正していくトレーニング方法から中村さん流の長所を伸ばしていくやり方に切換えたことが大きな要因であった。
「おかげ様でといいますか、高橋の投げたあとのマウンドに岡島が抑えで登場するとスカウト冥利につきますね。でもそれ以上に本当に胸が苦しくなってきます」
まるで父親のような心境だと中村さんは苦笑する。たしかに二人とも鳴り物入りで入団した選手ではない。華やかさとは、ある意味、無縁であったといっていいだろう。しかしである。
スランプや不遇時代を知らない選手よりもスランプや不遇に陥ったときにいかに這い上がれるか、這い上がるだけの精神力を持っているか、実はこれこそがプロに求められる資質なのである。岡島投手にしても高橋投手にしても決して西武ライオンズの松坂投手のようにプロ野球人の王道を歩いているとはいえないだろう。しかし一人のスカウトとの出会いによってジャイアンツというチームを「優勝」という、まさにプロ野球の王道を歩かせるための偉大な歯車へと成長していったのもまた事実である。
さて、そのスカウト中村和久の今年の夢は何か?
「それは中央大のキャッチャー阿部君をジャイアンツの一員にすること事です。彼を補強の柱にしたいのです。秋のリーグ戦以降でなければ接触ができないので、今は周辺の関係者に我々の熱意を伝えていく毎日です。そうすることで本人が巨人が好きで、ぜひユニフォームを着てみたいと思っていただけるように頑張るだけです」
そろそろマジックも可及的に減少している巨人だがスカウトたちの公式戦はこれからいよいよ佳境に入っていくのである。
「スカウトは足を運ぶのが商売です。パソコンやワープロも重要ですが、まずインプット前の資料を作ることが大事だと思いますね。インプット前の資料をいかにかき集めるか。その資料が薄いか濃いか、それによってアウトプットされてくる情報もそれを扱う人の対応も変ってくるのですからね。そういう意味では我々の仕事はまさに足と頭で展開する情報戦なのです」
このように語る中村さんはI−CITY読者に対して、さらに次のように続けた。
「私としては球場やテレビで応援して下さるファンの皆様に感動を与え、記憶に残るプレーをしてくれる選手が増えてくれることを望みます。ですから今後ともそういう選手を発掘していきたいと思います。ファンの皆さんは巨人が負ける試合はつまらないでしょうから・・・・・・」
そう前置きしたあと、スカウトの中村さんは真剣な口振りでこう締めくくった。
「全勝0敗。135試合すべて勝つ。これが我々巨人軍とファンの皆さんの共通の夢だと思いますね」
この瞬間、「これからの3連戦は2勝1敗のペースで」などと、マスコミに得意になってしゃべる監督の率いるチームが今年のジャイアンツにまったく歯が立たぬその理由がはっきりとわかったのである。
[メモ]
巨人のスカウトは国内12人。高校は県別、大学は学校別、社会人はチーム別に12人のスカウトを割り振っている。5月中旬までにエリア内を一巡、9月ころから絞り込みが始められ、中旬にはプロ入りの意思があるかどうかの感触を確かめる。チームの補強方針にそって何回もの協議の末にドラフト会議に臨む。
○引用参考文献・・・・・・東京読売巨人軍『サポート隊登場』巨人軍データベースより
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