コラム「ミレニアムの咆哮」

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最 終 回

   
5年前、私は2000年の世の中を次のように予測した。以下は『最終兵器CALS』という拙著の中からの引用である。
「人間には様々な特性があるというのに、情報化社会に耐えられなければ即座に精神異常や落伍者の烙印を押されてしまう。そしていつの間にか孤独よりも死を選ぶ若者が増えていく。しかもそうした生命に対する、いたわりや優しさといった感覚がマヒし、キーボードを叩けば言うことをきく世界が当たり前で、そうならないのは社会のほうが悪いのだという、極めて独善的な人々で社会が構成されていくのである。しかもバランス感覚を喪失したまま重要な決定を迫られつづけた人間は独裁者になるかリタイヤするかのどちらかだ。
    こうしたことが大小を問わず、いかなる組織の中でも起こる。その結果、五感から受ける刺激にひたすら受動的になり、自らの判断でコントロールする努力を放棄した人間が次々に誕生することになる。こうした人間に支えられた大いなる独裁者が複数現われ、衝突を繰り返しながら、やがて一つになる。」
    ここで問題にしているのは、独裁者という言葉である。ご存知の方も多いと思うが、民主主義には三つの方法論がある。その一つは、解放的民主主義である。文字通り民主主義の初形態で、王制などの革命の後に来る一時的形態のことをさす。一見、安定した状態に見えるが外界からの刺激や交渉に対しては意外にもろい一面を持っている。もう一つは、指導制民主主義である。これは多くを語らずとも字形が示す通り、複数の指導者によって民衆が導かれる体制を指している。そして三つ目は、独裁者的民主主義である。矛盾した表現であるが、実はこれが今の東京、長野にあらわれた首長のあり方をさし示した言葉なのだ。わかりやすくいえば、一人の人間の決断によってより多くの幸福が図られるというもっともわかりやすい形態である。つまり一言でいえば、独裁者というよりも大将そのものなのである。
    今、我々が企業のリストラと言うとき、大将はどこにいるか?  大将はどこで闘っているのか。東京や長野にあらわれた大将は、まさしく闘っていると言えるのではないか。どこで?  現場で、議会で、あるいはマスコミの前で。この一点において、彼らは、奥に隠れた財界の大将よりも数倍できが良いと言えるだろう。
    かつてリッカーミシンという王国を打ち立てた創業者・平木信二は愛弟子ともいえる、ある人物に次のような教訓を伝えた。ちなみに、平木信二は自社から、80メートルハードルのエリート・依田郁子をはじめ、数十名のいわゆるスポーツ社員を東京オリンピックに送り込んだ傑物である。その交友は、三井物産会長・新関八州太郎、野村證券社長・瀬川美能留、時の外務大臣・大平正芳(元首相)ほか、多岐に渡っている。さて、平木信二は、その愛弟子を那須の別荘に呼び寄せてこう言うのである。
 
「面白いものを見せてやるからちょっと来いや」
    言われるまま平木のうしろを愛弟子が従いて行くと、一匹のチャボがうずくまっていた。平木はチャボを指さして、まるで少年のような瞳で、
「いまこいつにキジの卵を抱かしているんや。この小さなチャボは今、キジの卵をクルクルクルクル回しながら、温めとるところだ。もう少し経ったら、キジの卵がかえるやろ。そのときにまた見に来てくれ」
    しかし、その愛弟子がその後那須を訪れるまでにやや時間があったため、卵からかえったキジはすでに親鳥のチャボよりもはるかに大きく成長していたのである。その大きなキジが小さなチャボのうしろにくっついて、ちょこちょこ歩いている姿を目にした愛弟子は思わず笑ってしまった。すると平木信二はこう言ったのである。ここから先は、この愛弟子が一生忘れられないセリフとなった。
「キジが怒って一突きしたら、チャボはたちまち死んでしまうだろう。ところがキジはチャボを自分の母親だと思っているから、そんなことはしない。小さなものが大きなものを生み出すいい例やないか。な、きみんとこの百貨店は今、日本で一番小さい。しかしその小さな百貨店を母体にして、いくらでも大きな店をふ化させることができるんだ。チャボがそれを実証してみせていると思わんか」
 
    その愛弟子は、誰であろうが私には関係はない。ただ数千億の赤字を出して今も世間を騒がせている人物とだけ言っておこう。ここで平木信二が言いたかったことは「一つの事は無理をして大きくしてはいけない」ということである。小さなチャボはこの卵を決して大きくしてやろうという功名心など持ってはいなかった。愛情をもって育てた結果が大いなる成長をみたのではないか。そして小さなチャボは、その時点で大将となり、『自分よりも大きなものを堂々と率いた』という好例を平木信二は後に大将になるであろうその愛弟子に説いて聞かせたのである。
    さて、その平木信二がリッカーミシンというミシン会社を設立しようと思ったきっかけは、戦争そのものにあった。敗戦後の日本に必要な衣食住の三要素のうち、まずは衣から手がけようと考えたのである。ところが昭和23年にリッカーミシンを発足させて以来、驚くべきことに彼は、昭和29年に一度不渡りを出して倒産寸前の窮地にたたされている。そこから先、彼がどのように立ち直っていったかは、私が取材を担当させていただいた辺見じゅん著『夢、未だ盡きず』(文芸春秋社刊)に詳細が描かれているので御一読いただきたい。つまるところ死を覚悟した彼は一つもそのような素振りを他人に見せず見事に乗り切ったのである。
    筆者が昭和29年という年代をここで出したのは理由がある。いや、29年であろうが28年であろうが、ここではどちらでもよかった。いわば戦後数年たって日本が自立しようとしているときに西村琢磨中将という一人の人物がオーストリアの裁判で捕虜虐待という罪に問われ死刑に処せられていたということが言いたかったのである。彼は部下が行なった捕虜の殺害という濡れ衣をきせられ終戦からなんと6年以上たって、少しずつ日本経済が闇市市場を抜けて自立性を取り戻そうという時に絞首刑に処せられた人物である。彼は牢獄から引きずり出されるとき自分も後を追うと言ってすがってくる部下にこう一喝した。
「君たち、若い者は生きろ。必死に生きて、日本を再建してくれ」
    ひるがえって、我が日本を思うとき、現代の大将たちはどのように部下にあるいは若い者たちに教訓を遺すことができるのであろうか? 
    リストラという名前で部下を苦しめ自分だけ生き残ろうとしていませんか? 
    責任を誰かに押しつけ自分だけ生き残ろうとしていませんか?
    もう十分に生きてきたにもかかわらず、それでもまだ若い人たちを犠牲にして生きていこうとしていませんか?
    最近、私も年を取ったのか、どこからかそういう幻聴が聞こえてくるような気がする。なぜだろうかと考えたときにその究極の原因に突き当たった。それは、自民党における加藤氏のクーデター劇であった。周囲に集まった取り巻きたちが彼に向かって「大将なんだから」と得意げに、いや悲壮感に満ちた声で叫んでいたその映像がどうしても脳裏から離れないのである。「大将なんだから、あなたはここにいてくれ。我々が議会に出席する」という会話であったのか。「大将なんだから、私がまず賛成票を投じてみせる」であったのか。時間がたつにつれ呆然とその議論は行方を失っていくのである。国民が失望したのは簡単なことである。誰が誰をかばい、誰が誰のために何をしようかというセリフがそこに見えなかったのである。たぶんこう言っていいだろう。いい年をした大人たちが子供たちに見せた姿がまるで暴走族や暴力団の抗争劇のようにしか映らなかったことに絶望にも似た国民の失笑があったのではないだろうか。あるいは暴走族や暴力団の方がまだいさぎよいのかもしれない。
    さて、話はもう一度、冒頭に移るが、今あらゆる社会で起きていることを一言で言うなら「責任」のキャッチボールである。肩書のついたいいおじさんたちが何の保障もない若い連中に「責任」の剛速球を投げつけ、偶然それを受けとめた若い連中が「とった、捕った」と叫びながら、肩書のついたおじさんたちに、より速い球を投げかえすという、そういう現象がリストラという名のもとで繰り返されているのである。
    私は言いたい。愛情のない「責任」という剛速球はそれ自体が武器なのである。そのやり取りを近距離で行なっているうちに、やがてどんな組織にも死者が出るであろう。だからこそ肩書のついたおじさんたちは次のことを自覚し、若い世代に明日の日本を託すほどの愛情を示さなければならないのではないだろうか。
「大将なんだから、この俺が先陣を切ってみせる。君たちは後について来い。いいか。恐れるな」
了    

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