それまで尾崎豊の歌など聞いたことがなかった。ところがこの商売を始めて数年後に、ある編集者から、尾崎豊の死因を調べてくれないかといわれて、彼のプロフィールをとことん読んだことがある。そのとき、一番心に残ったのは「17歳の地図」という歌である。
『少しずついろんな意味がわかりかけているけど決して授業で教わったことなんかじゃない。口うるさい大人たちのルーズな生活に縛られても素敵な夢を忘れやしないよ。』
実に若い歌詞であるけれど私は、仕事上素朴に感動した。彼の死因については巷に言われている以上のものをつかみとったつもりではあったが、締切りに間にあわなかったので、それは決して掲載されることはなかった。けれど、若いのになかなかやるじゃないか、という思いは心の中に残り続けている。かつて私自身も17歳の地図と呼ぶべき「ある人物の詩」を見たことがある。といっても今から22年も前の出来事だから、現在の17歳の少年たちからすれば泥沼に浮ぶプラモデルを見るようなある意味色あせた世界かもしれない。
その日18歳の誕生日を迎えた私は、親戚とともに岡山から車で京都に向かっていた。途中、休憩で立ち寄ったモーテル。今でも覚えている「よろいモーテル」という名の風変わりな姫路のそのモーテルで私は「戦争展」というものを見たのである。それは無料であった。と同時にあとでわかったことだがその店のオーナーは戦国時代やもっと言えば古い壷や掛軸といった今でいう鑑定団の世界に興味を持った人で四季折々に特別展示会をするような人物であった。一体これから先、私は何をしたらいいのだろう。そんなあやふやな気持ちで京都の寺に人生探しの旅をしようとしていた私はそこで行われていた「戦争展」の前でふと立ち尽くしてしまった。そこには私と同い年の青年が家族に宛てて次のような遺書をしたためていたのである。ガラス張りのケースに張られていたその手紙を食い入るように見つめた私は、ハッキリと人生観が変るのを感じた。
「お父さん、お母さん、僕は今日18歳を迎えます。今まで育てていただいて誠にありがとうございます。私が生き続けてきたことは御両親のおかげだと思っております。こういうことを申し上げて大変申し訳ありませんが、僕はつねづねこういう風に生きて参る所存でおりました。10代は自分のため。20代は社会のため。30代は日本のため。40代は世界のため。そして50代は家族のため。このように生きて参る思いでした。今の僕には無理ですが弟の○○や妹の○○にはこういう生き方もあるということをお父様、お母様どうぞ伝えてあげてもらえないでしょうか・・・。」
そんな手紙を同世代の男が書いていたことを知り、ある意味愕然となった。そしてあれから20年が経ち、作家となった私は辺見じゅんさんという一人の女性作家と仕事をさせていただくようになった。辺見じゅんさんは20世紀までに戦争とは何か、ということを兵士の遺書を通じて、21世紀を生きる若い人たちに伝えようとしておられたのである。そういう作業をお手伝いする中で、私はひょんな事から次のような16歳の兵士の手紙を読むことになった。あえて誤字脱字はそのままにして掲載したい。
『
母上、もう自分は死をけつしんしております。
あの海原で働く自分にとつてはまことに美しく悲しい者です。
父上にはもうあゐません。このまゝあはないで死ぐとおもつてください。
自分たちは死ぐのをなんともおもつて、あの原であの野で見た美しい花とも、あの
美しい元山、かもめじまをあとに見て、自分は一生故郷に帰れないとおもつておりま
す。もう自分のけつしんはきまつたぞ。さらば故郷よ。
元山のふもとにたたす我が町は
きよきながれの川の下
あゝなちかしきわが故郷
これは自分がつくつたのです。
母上様、くるによかつたら、きてください。
もう自分は故郷にかゐりません。では母上様、最後のため、きてください。五月二
十一日海軍大将山本五十六が戦死をしたのだ。大将がせんし□□□□□の、自分は死
ぐのはあたりまいだ。
ではあの海原に出て、りっぱなに死ぐきだ。
今あゐなかつたら靖国神社であをとお思つぞ。
戦をかちために皆で元気でやれ。
親をもふ心にまさる親心
今日のおとじれなんときくらん
母上様、自分は今日まで、いろいろとせはになつた。
その恩は一生はしれなぞ。
母上、では元気でくらしてくれ。
自分はまことに親ふこうでございます。どうぞおゆるしください。
母上様、最後にどうぞきてください。
手紙のつきしだい、たのみます。
今あはなければ自分は一生あひません。
一日としては思はじ母の顔
今日のくらすはどうぞしておる
では、さらば
一同によろしく。
照雄
』
この遺書を書いた国仙照雄さんは北海道出身で、16歳で亡くなっている。それまで彼は継母だった自分の母親の存在を嫌っていたためついにその女性のことをお母さんと呼んだことがなかった。彼はこの遺書の中で初めてそれを母上様という文字にしたのだった。正直ショックだった。文脈も文字も間違いだらけなのに、これほどの感動を与える文章。本物の強さだと思った。年齢など関係ないのだ。と同時に、あの日18歳の誕生日の時に見た若き兵士の手紙のことを思い出した。そして、まるでたたみかけてくるようにだが、尾崎君の「17歳の地図」という歌のフレーズがよみがえってきたのである。彼は、闇の中でうなり声を発する獣のような迫力で次のようなことを唄っていた。
「人波の中をかきわけ
壁づたいに歩けば すみからすみはいつくばり
強く生きなきゃと思うんだ」
そして5月4日である。早朝、17歳のバスジャックがまるでテロリストと同じような扱いを受け逮捕された。6歳の女の子を真横に座らせ、男たちをみな途中で降ろし、弱いと思われる女性たちだけを残し、さらに説得にあたった大人を翻弄した結果、彼はバスからひきずり降ろされたのである。刃渡り30センチほどの包丁は牛刀であった。町の包丁屋で金を出せば誰もが買えるような牛刀を手に持ち、弱い者を人質に取ったあの男は決して私の心を打った若き兵士や国仙照雄や尾崎豊などではない。
今、17歳になろうとしている君達に問う。命とは何なのか。他人を傷つけるとはどういうことか。人の命を守るとはどういう意味か。政治とは何なのか。凶器とは何なのか。そして自由とは何なのか。たとえば、地方に住んでいるから関係ないなどと人事のようなことを言ってはならない。今の日本は地方から崩壊しているではないか。もし君達の中で怒りにまかせて大人を、そして世間を撃ち倒そうと思うなら、弱い者を人質に取るようなことをするな。それよりむしろあと3年その憤りを熟成させながら選挙という合法的手段で地方における政財界の悪の輪かんを打ち砕け。弱い者を守れ。自分たちの利益のことしか考えない強い者たちを撃ち倒せ。考えろ。強すぎる者はいないか。民衆をいじめている存在はいないか。とにかく考えろ。そして歴史や自分の先輩、身近な大人からどうすればそれを実行に移せるのか、なぜ実行に移せていないのか。とにかく歩き方を学べ。このまま君達の世代がやりたい放題やっていたなら、やがてそれを利用する強い者たちが現れる。そして17歳になったのだから兵士として訓練をさせてあげよう。バスジャックをするような若者にならないように、ともっともらしい顔で、彼らは間違いなく君達の前に現れる。それを防ぐためにどうしたらいいのか、とにかく考えろ。決して学校の先生や偏差値をはじき出すコンピュータからは評価されないだろう。それでも構わないではないか。世の中には、誰も君達に点数などつけられやしない世界があるのだ。そしてもし結論めいたものが生まれたとしたら、自分を信じて孤立することを恐れず未来に向かって歩き出せ。そのためにもだ地図を描く前にまず測量をしなければならない。やがて20代を迎えようとする今、冷静な目で社会を測量することだ。そして包丁やピストルを手に自分のための地図を描くのではなく、何も持たず徒手空拳で自分の夢を社会に描け。それこそが17歳の地図なのである。新しい民主主義なのである。
◎引用参考文献・・・「父へ、母へ、最後の手紙『昭和の遺書』@」
辺見じゅん編
/角川書店
http://www.linkclub.or.jp/~nobiles/Ozaki/Discography/CD-Album/17map/17.html
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