コラム「ミレニアムの咆哮」

第1回  第2回  第3回  第4回  第5回  第6回  第7回  第8回  第9回

第三回「5月4日に。」

前略 桜の花も散り、小さな子供たちもサラリーマンもすべての人がなにげなく桜色を踏みしめて歩きはじめる季節となりましたが、お母さん、その後いかがお過ごしですか。
晴行君の突然の死から、はや7年が経とうとしています。今年の2月にお会いしたとき、お母さんは確か私にこう言われましたね。「もう息子の死が風化してきました」「私より先に逝くなんて親不孝な子です、あの子は」と。後でお話をすることにしますが、その言葉を聞いて、私はあることを決意しました。
さて、毎日、倉敷市種松山山頂の晴行君のお墓参りに行かれているお母さんにお願いがあります。墓標の横にあるメッセージ受けの中にこのメールを投函しておいていただきたいのです。来月のあの日までであればいつでも結構です。

『高田よ、どうだ元気か。
あの日、お前はいつものようにジープの運転を買って出たそうだな。PKOとはいっても変化のない日々の中で何かやれることはないだろうか、となにかしら工夫していたというお前は、現地の子供が夜、高熱を出したときも日本部隊のジープを運転して真夜中カンボジアから100キロ近く離れたタイ国境を越えて病院に連れて行ったそうだな。おかげで子供は一命を取り留めたというじゃないか。そんな話は決して新聞には出なかったけれど、その日以来、日本隊は現地の人だけではなく各国のPKOから一目置かれるようになったというから、お前の働きも決して無駄じゃなかったわけだ。たぶんお前のことだ。我子の大資君や龍君のことを思い浮かべてジャングルの中を疾走したのだろう。
そういえば、国連ボランティア要員で4月8日に射殺された中田厚仁さんは、その前日の4月7日に日本隊の宿舎に遊びに来ていたというじゃないか。誰かが「いいから泊まっていけ」と誘ったそうだが、彼はそれを笑顔で断わった。あのとき、もう少ししつこく誘えばよかったと日本隊員の一人が悔いたというが、その人に責任はない。それより、気の優しいお前のことだ、同じ日本人だからという理由以上に中田さんの死を悲しんだことだろう。
ところで、カンボジアの生活で娯楽というとお前の好きだった野球と麻雀だったらしいな。現地の子供たちやスウェーデン、フランスの部隊と混成チームを作ってずいぶん、和気あいあいとプレーしたそうじゃないか。南の国の国際親善野球大会といったところだな。
聞いたぞ、大学四年、卒業を控えてお前は大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の入団テストを受けたそうだな。最終選考で3人まで残ったというから大したものだ。順調に行けば大洋ホエールズの選手だったお前が、なぜ警官の道を選んだのか? おそらく得意だったサードに有名選手がいて、それがあまりにもスター選手だったから入団をあきらめたのか?
あの時、プロ野球選手として大洋に入っていればお前は死なずに済んだのじゃないか、そう考えた俺はお前のノンフィクション小説を書くため、学生時代の友人に取材をしてまわったんだ。
何人かに尋ねても実際のところよくわからないといわれ、最後には横浜ベイスターズのフロントにも確認してみたが記録は残っていなかった。
ところがだ。倉敷南高の同級生だった佐藤隆泰に聞いてみると彼はあっさりこう言った。
「知っとるよ。俺、そのとき一緒に入団テストについて行ったからな」
それによると、お前は突然、彼のマンションにグローブとボールそれにバットを下げてふらりとあらわれてこういったそうだな。
「隆泰、今日から合宿じゃ」
驚く彼に入団テストの件を告げると、すぐさまキャッチボールをはじめたというじゃないか。その日以来、彼は左手を紫色にはれ上がらせながら君の剛球を受け取り、朝夕のマラソンにも付き合ったというから持つべきものは友だなぁ。そして入団テストのその日、大勢の参加者とともに50メートル走に挑んだあと、グラウンドを見守っていた佐藤隆泰のところにやってくると君はこう言った。
「隆泰、帰るか。やっぱり大洋はおえんのぉ。多摩川のジャイアンツでも受けるか」
つまり、君は一球もボールを握らずに体力テストの段階で大洋ホエールズを落ちていたのだなぁ。なんとなく寂しい気がしたけれど佐藤隆泰の「高田は、まだええぞ。何というても入団テストを受けたんじゃから。ワシはどうなる? あれだけ痛い思いをして、ボールを受けたのに高田は本番でわずか数秒走っただけじゃ。風が身にしみたぞ」
その話を聞いて俺は爆笑した。いや、こんな話を書いたのも裏話を暴露するためじゃないから気にするな。実を言うと先に述べたように俺は横浜ベイスターズにも取材を入れている。そのとき、フロントの小林さんがこう言ってくれたのだ。
「高田さんのような立派な方がウチの入団テストを受けて下さったことは本当に光栄だと思っています」
どうだ、およそ20年経ってお前を50メートル走で落とした球団がこう言っているんだぞ。そのことを伝えたかったのだ。この間、佐藤隆泰に会って君の好きだった坂本龍馬の写真を手に入れて渡しておいたから、いずれ目にすることがあるだろう。フルベッキ博士というイギリス人を中心に西郷隆盛や桂小五郎、勝海舟といった幕末の英傑が一同に会したとされている集合写真だ。贋物説もあるが今のお前が持てばすべて本物になる。とにかく珍品だから受け取ってくれ。
龍馬が好きだったお前は次男にも一文字を取って龍と名付けた、と聞く。俺は龍馬ファンだと称する人に数多く会ってきたがお前は筋金入りだったな。なぜなら、ポルポト派に襲撃され銃弾を浴びたあと瀕死の状態で、日本隊の一人にこう言ったというじゃないか。
「他の人は大丈夫ですか」
そのあと、ヘリコプターが来て負傷者に応急処置をはじめたときに重傷の者が後回しにされ、なかなか手当てをしてもらえなかったとき、スウェーデン部隊の人達が酸素ボンベを担いでくるとその先端をお前の口に当てて、
「タカダ、吸え。吸うんだ」と、叫んだという。お前は最後にうなずくと大きく息を吸い込んでそのまま還らぬ人となった。スウェーデン人が担いできた酸素ボンベは業を煮やした彼らがジープを走らせて野戦病院からお前のために盗んできたものだ。
いずれ代わりに俺が礼を言うつもりだ。あのとき、お前が日本隊のジープの運転をしていなければ、こうはならなかった、と当初俺は考えた。だが、それは違っていた。いつも真っ先に運転手を買って出たのは何も車の運転が好きだったからという理由じゃない。お前は知っていたのだ。もし襲撃を受けた場合、真っ先に狙われるのは運転手であることを。だからいつも運転手であり続けようとしたのだ。日本隊のメンバーを守るために・・・・・・。
その後、君を襲ったポルポト派の独裁者は死にようやくカンボジアにも平和が訪れようとしている。今年の2月に君のお母さんとお会いしたとき、俺はあることを決意した。何年かかるかわからないが、いずれ君の命日にカンボジアからポルポト派の兵士を日本に連れて来て、君の墓参りをさせてやる。その後一発ぶん殴って・・・と言いたいがそれはお前が悲しむだろうからやめることにする。倉敷のうまいものでも死ぬほど食わせてやろう。そしてやはり君の命日にお母さんと共にカンボジアに行きポルポト派の連中に狙撃した場所まで案内をさせてやろう。君のお母さんはまだ君が撃たれた場所に足を踏み入れたことがないのだ。きっとこれも君が望んだ平和の姿だろう。手始めに今年の5月4日に俺はカンボジアの方向の夜空を見上げて最初に目に映った星に「タカダ」と名付けよう。それを了解したならお前はタカダと名付けられた星で三度瞬け(またたけ)。約束だ。もし雨ならこの星を一日だけ「タカダ」と名付けるだけのことだ。

追伸、お前は最後にこう聞いた。「他の人は大丈夫ですか」そうだ。俺達はまだ大丈夫だ。撃たれていない。だから今も平和のために何ができるかを考え続けている・・・・・・。』

了     

TOPへ