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『不易流行と武士道〜敗れて目覚める〜』
 人には可能性がある。
 いや、可能性こそが人間そのものだと言っていい。
 その可能性を伸ばすのは自分自身であるが、チャンスを与えて伸びる場を与えるのは人生の先輩や上司の役割である。
 ところが最近は失敗を恐れ、委縮し、何もしないことが立派で、失敗した人間は失敗者の烙印を捺すことで闇の向こうに葬り去ろうとする風潮が目立っている。
 負けるが勝ちという言葉もある。負けてこそ目覚めるということもある。
 かつて戦艦大和とともに東シナ海に散った臼淵磐大尉(1923-1945)はこう言った。
『進歩のない者は決して勝たない
 負けて目覚めることが最上の道だ
 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた
 私的な潔癖や徳義にこだわって本当の進歩を忘れていた
 敗れて目覚める それ以外にどうして日本が救われるか
 今目覚めずしていつ救われるか
 俺たちはその先導になるのだ
 日本の新生にさきがけて散る
 まさに本望じゃないか」
 大和ほどの悲愴感はなくとも大事なことは敗れて目覚めることだ。人生も企業も同じである。敗れることや失敗は確かに許されないことだが、それでも失敗からこういう教訓を得ることができたと、失敗体験そのものを前進の糧にすることができるかどうかで、その人や企業がホンモノかどうかが決まるのだ。
 かつてホンダの創業者・本田宗一郎はこう言った。
『チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ』
 本田は数々の失敗の中からすべてをつかみ取った男だ。
 かつて明治維新の際、新政府で欧米流経済を日本に根付かせようと活動した人物に渋沢栄一(1840-1931)がいる。彼は生涯にわたって第一国立銀行や王子製紙など500以上の企業を興した人だが、チャレンジの秘訣を次のように語っている。
 『今や武士道は移してもって実業道(人生道)とするが良い。日本人はあくまで大和魂の権化である武士道をもって立たねばならない』
 たしかに「守成は創業より難し」という。そのため創業より事業の維持の方が価値があると思う人が多いが、創業あっての守成なのである。創業のないところに守成も何もあったものではない。だからこそのチャレンジなのである。
 たとえばバンダイ創業者の山科直治(1918―1997)はこう言っている。
『バンダイは玩具業界のトップかもしれないが、私は業界トップだとは思っていない。業界トップだと思ったときから没落がはじまると考えているからだ。玩具のように変化が非常に早く、危険な商売ではちょっとでも油断すると落ちるからである。だからバンダイでは創業以来一貫して創業元年、創造元年というスローガンを掲げている。すなわち初心を忘れるなということである』
 山科の言葉に従えば、人生道や実業道を心得た人物とはチャレンジ精神を失わない人物や企業人のことをいうのである。
 では、チャレンジ精神が発揮されるのはどういうときだろうか。その答えはカシオ計算機創業者・樫尾忠雄(1917―1993)からの言葉の中にある。それがこれだ。
『まず第一に常にどういう商品を作り出せば多くの人に喜んでもらえるかを考えて開発にあたることである。つまり売れる商品、儲かる商品を考える前に社会一の貢献を考えたのである』
 社会貢献をチャレンジ精神の出発点に置く。どうやらチャレンジや創業の心得はこのあたりにあるようだ。
 最後にアダムとイブはなぜ知恵の実を食べて神からエデンの園を追い出されたのか?
 答えは簡単だ。アダムとイブが最初に学ぶべきは神の御心であったのに、それを忘れて蛇から知識の実を食べるようにそそのかされたからだ。つまり心の修行もできていないのに神に近づくための近道を歩こうとしたため、神の怒りを買ったのだ。嘘をついて恋人の気持ちをこちらに向けようとしたり、成果を得ようとして失敗するのと同じだ。悪魔のささやきに乗らず、我々はまず先人の精神や名言を学んだうえで、失敗という名の人生修行をある程度積んでから知識の実に手を出すべきなのである。そうすれば常に神はそこにいてあなたを守ってくれるだろう。
 ちなみに、 HOYA社長の鈴木哲夫は失敗の価値についてこう語っている。
『私は頭で考えるタチでしてね。理論とか知識を尊重するんです。なにごとも合理的に割り切らねば気が済まないんですね。だから情に疎かった。冷たい方だと言われましたよ。でも浪人をしてみて情というものが実感としてわかりました。私を慕ってくれた部下からそれを教わったようなものです』
 1957年、資本金900万円、年間売り上げ2億円の町工場の社長に鈴木哲夫が就任したのは32歳のときだった。アメリカ型の経営を学んだ彼は、5年間で売り上げを10倍の20億円に伸ばし、その辣腕ぶりが高く評価された。
 ところが、1965年に入って不況のあおりをまともにくらい売り上げの急激な低下とともに鈴木の自信は粉々に砕かれ、ついに会社の資産はおろか、個人の財産までもすべて投げ出し、文字通り無一文になった。上場の累積赤字は10億円以上に達し、40歳のとき彼はついに閑職に追いやられてしまうのだ。つまり実業家としての鈴木は一度死んだのである。しかし、この閑職時代が鈴木の器を大きく変えた。彼はその日から工場に顔を出し、ガラス職人とともに額に汗をたらして純粋に己の会社の扱っている商品に向き合うようになったのだ。そのおかげで彼の眼にはそれまで見えなかった従業員の心や友人、取引先の腹の中がまるでガラスの向こうをのぞくかのように手に取るようにはっきりと見えてきたのである。そして彼が得た結論は、トップは好人物でなくとも良いが、人から尊敬されなければならないというものであった。経済のダイナミズムは同時にバイオリズムでもある。1968年頃から再び景気が回復したため、やがて鈴木が社長時代に残してきた直販システムが軌道に乗り始め、眼鏡ガラスの売れ行きが飛躍的に向上し始めたのである。当初、過剰と判断された設備投資も、その頃になると逆に最新鋭設備としてフル稼働を開始し、鈴木に先見の明があることが証明されたのだ。その結果、鈴木哲夫は再び社長の座に返り咲くのである。
 つまりこういうことだろう。彼は一度、社長の座を失うことで大事なことは権力ではなく胆力と器だということに気づかされたのだ。そしてまさに、これこそが失敗の効用なのである。
『急がば回れ!』
 これこそが失敗を恐れずにすむ極意だ、と私は思っている。
 おかげ様で『神社仏閣に隠された日本史の謎と闇』が好調に売れ行きを見せているようです。これも皆さんの御支援の賜物と心より感謝申し上げます。
 私自身これからも失敗を恐れず、新たな作品にチャレンジして参ります。
中見利男拝
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